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ベルクソン誤読本新報 [あいだ哲学]

岩波新書で『ベルクソン』を出して一段落したので、補完できそうな本を買い込んできた。そのひとつ、橋元淳一郎の『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書)は、物理学者がわかりやすく書いたものとして、有益だと思う。ただし、哲学に関してはまるでダメ。特にベルクソンについては、有害図書とさえいいたいほどだ。

3点だけ挙げておく。
1 刺激と反応の過程に、ハイデガーのいう「配慮」を見てとっているが、そこまで飛躍しなくても、その問題はベルクソンが『物質と記憶』で正面から扱っている。
2 「ベルクソンの間違いは、創造的進化に神のような目的を付したからである」と著者はいうが、それこそ、ベルクソンが避けようとしたことである。
3 ベルクソンの生命観は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」以来古くなったと著者はいうが、ベルクソンは科学との相補性を説きはしたが、あくまで哲学者であったということを忘れ去っている。その点は、拙著の『ベルクソン』でも、強調したところだ。

著者は、その必要がなかったので、ベルクソン哲学に言及しなかったというが、そこからして間違っているのは、上記1にあるとおりだ。ただ、「それにもかかわらず、本書の結論は、ベルクソンの創造的進化という思想を肯定することになり、いささかの戸惑いを覚える」ともいう。実のところ、戸惑いを覚える必要はない。少なくとも上記の3点を銘記するなら、本書は、ベルクソン哲学を充分補完しうるものとなりえていると思う。むしろ、ハイデガーのようなつまらない哲学者を祭りあげることで、専門外の人たちからベルクソンを必要以上に遠ざけている連中が悪いのだ。こういった連中がのさばりつづけるかぎり、哲学はバカの楽園でありつづけるほかあるまい。


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