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河原温の死? [まぶさび詩]

お日さまを、さびしみて、あたらしむ   (日付絵画の滝)
過去の死者、さびしみて、百万年    (過去百万年の滝)
未来へは、ただひとり、百万年     (未来百万年の滝)

2014年7月10日に河原温が亡くなったとの報があってから、もう一月以上がすぎました。
ただ、亡くなったという実感が、どうしてももてないのです。
それはおそらく、ひとつには、このアーティストが一日が明けそめる頃に描きはじめ、その一日が終わる前に描きおえるという作業を続けたからでしょう。
いわゆる日付絵画の連作です。
1966年から続けられたのですから、いったい何作になるのでしょうか。
だからでしょうか、日の出日没が繰りかえされるかぎり、河原温も生きつづけているように感じられてならないのです。
亡くなったという実感がもてないもうひとつの理由としては、あの『過去百万年』と『未来百万年』という作品のせいかもしれません。
『過去百万年』には、「生きて死んだすべての人のために」という言葉がしるされていますし、『未来百万年』には、「最後の一人のために」としるされています。
とりわけ最近思うのは、「最後の一人」とは、河原温自身のことではないのか、そしてわたしたち一人ひとりのことではないのか、ということです。
そうであってみれば、亡くなったという実感がもてない、というよりは、もてなくて当たり前、いやむしろ、もつべきではないと、いったほうがよいのかもしれません。
ちなみに、わたくしめの河原温との関係は、『美術手帖』(1987年10月)に掲載された河原温論「消滅のリタルダンド ― 河原温と書物」にさかのぼります。
実は、国立国際美術館の河原温展カタログでの翻訳まで入れると、もっとさかのぼるのですが、翻訳者の名前は出ていなかったはずなので、それは措くとしておきましょう。
その評論も含め、わたくしめの詩についても、好意的な感想を何人かの人に伝えてくれていたようです。
一度お会いしておきたかったなあ、と思わなくもないのですが、もし面識がもてたとすると、亡くなったという実感がありすぎて、それはそれで困ったかもしれませんね。

タグ:現代アート
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