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『1Q84』と痕跡過剰性 [まぶさび密誌]

村上春樹のよい読者とはいえなかったわたくしめですが、ふとしたきっかけで『1Q84』にのめり込むことになってしまいました。
三十数年前に提案した概念のひとつ、痕跡過剰性を新たに適用できそうに思ったからです。
もっとも、それについては、ちゃんと論じられないまま、ずるずると来ています。
それでも、Book3について気になったことだけは、忘れないうちに記しておこうかな。。。
驚くとともに感心したのは、青豆と天吾の章が交互に続いていた中に、あのおぞましい牛河の章が挟まるようになったことです。
この意外なもっていきようは、さすがというほかありませんね。
ただ、すこし首をかしげたのは、タマルが潜伏先の青豆にプルーストの『失われた時を求めて』を届けたことです。
なんだか、あまりにも唐突でそぐわないものを感じませんか。
肉体派ゲイ(変な言い方ですが)のタマルが、プルースト、ですからね。
ところが、Book3を読みおえてしばらくすると、『1Q84』そのものに、とてもプルースト的な何かを感じはじめたのです。
そもそも、天吾は自分の小説を書きすすめているところでしょう。ちょうど『失われた時を求めて』の主人公とかぶりますよね。
おまけに、タマルと青豆の組み合わせって、同性愛者プルーストの恋人だったアルフレッド・アゴスチネリと、作中の女の恋人アルベルティーヌと、どうしてもだぶって見えてしまうのです。
さらにいうと、10歳のとき手を握ったときの思い出が、青豆と天吾にとって、プルーストのいう無意志的記憶のような役割をはたしているようにも思われます。
そんなあれこれを考えだすと、この小説は、まだまだ展開される予感がします。
だって、意味ありげに提示されながら、未解決なことが、けっこう残されていますよ。
これ以上は、やめておきますが。。。
それにしても、Book3は12月で終わっているので、どうやって書きつぐのでしょう。
どんな新しい驚きが用意されているのでしょうか。
来年までは待ちきれない思いです。

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