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ネット空間の誤読者たち・その2 [あいだ哲学]

立て続けに、その2です。
拙著『まぶさび記』についての、けっこう前に書かれたもののようですが、今ごろになって、その存在に気づいたわたくしめです。

http://www.maroon.dti.ne.jp/mahoraba/Readings2008-3.html
「ベルクソン」にも展開されている話だが、 間論における二元要素間の 交通(相互関係)論を軸とした、筆者の徒然感、サブタイトルに空海を歌っているが、東洋哲学だけでなく、鈴木大拙だの、西田幾多郎、ドゥールズ、唯識など、における感想を展開しており、まとまりもなく、かつ専門外の分野であることも手伝って、深い味わいもなく、仮定形や個人の感想の域を出ていない。
 そういう意味でも学問の書ではない。さらに篠原が提唱する短文詩(5,5,5文字形式)があちこちに登場し、目障りでもある。60%読了で、打ち切りとする。
「ベルクソン」に比べると、統一感がなく、ベルクソン著作の前の思想混沌状態をランダムに書いたと見てよかろう。間の論点は面白いのだが、二元間の交通論は面白くない。

これなど、唖然とするほかないしろものです。
なぜって、『まぶさび記』中で、鈴木大拙や西田幾多郎に言及した箇所など、ひとつもないからです。
ドゥルーズを、ドゥールズと表記するなど、まともな神経の持ち主なら恥ずかしくって表も歩けないくらいではないでしょうか。
それに、わたくしめの「あいだ哲学」は、「二元要素間の交通(相互関係)論」などではありません。
交通論とは、交通が織りなされる「あいだ」がどのような「あいだ」かをあぶり出すための方法論です。
なのに、「二元要素間」と決めつけてしまったら、どのような「あいだ」かを探る必要もなくなるからです。
そもそも、二元要素も、二元も、あいだ哲学では前提とはされません。
おまけに、交通論は相互関係論ではないですよ。
相互関係論は、交通論が想定する4つの交通様態のひとつである双交通に該当するかもしれませんが。
しかしまあ、こんなことを書きつらねても、60%読了段階で、えらそうに批判的なことを言いたてる身勝手さんには届かないでしょうが。


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